FEATURE|現代アーティスト・スクリプカリウ落合 安奈、ミックスルーツとしての葛藤から生まれたアートへの道

ルーマニア人の父と日本人の母のもとに生まれたアーティスト、スクリプカリウ落合 安奈。
彼女の作品は、言われえぬ深さや心を動かす力強さを感じる。
現在、東京都写真美術館で開催中の「総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22」のキービジュアルにも採用されている作品は、ルーマニアで撮影したものだ。
彼女のベースともいえるミックスルーツ、ルーマニアの話題を中心にアーティスト活動についてインタビューを行った。

周りとは違うミックスルーツの自分、思いを伝える術としてアートの道を進む
――ルーマニア人と日本人を両親に持つ、特殊なバックグランドについて
母が写真家で、1989年にベルリンの壁の崩壊があって、時代が大きく変わる瞬間にその国の人たちがどのような気持ちでいるのか、その温度を撮りたいっていう衝動的な思いで渡独したそうです。そうしたら立て続けに東欧のルーマニアで革命が起きて、今度はそちらに飛んで。国の状況が一気に変わっていく動乱の中、興奮してまくしたてて話をしてくる青年にたまたま出会って、それが運命的なものになって。そうした革命の時代背景のもと、1992年に私は生を受けました。
当時ルーマニアはまだ物資が潤沢でもなく教育環境も整っていない動乱の続きの時代だったことから、日本で暮らすことになりました。父は途中で帰国してしまい、私も大学生になるまでルーマニアに行くことはありませんでした。
――アーティストを目指すことになったきっかけは?
小学校に上がってからマイクロアグレッションといわれる、無意識に発せられる言動や態度による差別を受ける経験が増えてきました。ミックスルーツの外見、父と母の名字を合わせた「スクリプカリウ落合」を正式名にして使っていることとかがきっかけで。このスカリプカリウという名前があることが日本では生きにくく、捨ててしまいたいと遠ざけていた時期が長くあったんです。 自分は周りとは違う。それを誰かに伝えようとしても理解してもらえないという思いがどんどん積み重なって、言葉に対して苦しさを感じていました。ただそんな中、子どもの頃から絵を描くことが大好きで、いろんな人に褒めてもらえていた、認めてもらえていたんです。絵であれば思いも伝わる、他者ともつながれる、そういう感覚がありました。まさにビジュアルランゲージだったんです。
東京藝術大学に進学することになって初めて、個性が認められる場所、むしろ他と違いがなければ生き残ってすらいけない世界に足を踏み入れて、ようやく自分自身と向き合えるようになりました。それまでは「日本人として」生きることばかり考えていたので、そのしがらみから解放されたというか。それで大学時代の長期休暇を利用し、自らの意思でルーマニア行きを決めました。15年ぶりでした。
大学では油絵科に進みました。油絵といいながらもそれだけではなく、いろいろな作品形態が選択できる学科だったので、自分にはちょうどよかったんです。絵も描きましたが、写真やインスタレーション、いろいろなチャレンジできました。
藝大に入る前、予備校の先生に、思想や概念をビジュアル化するコンセプチュアルアートが向いているって言ってもらえたことがあって。そこから自分の思いをビジュアル化するっていうトレーニングをずっとしていました。風景画などを描いていたら藝大には受かっていなかったかもしれません。


Photo:Arito Nishiki
――写真作品を多く手掛けるようになった経緯は?
母が写真家だったので私が撮った写真を見せても褒められることは決してなかったこと、学校などで専門的な教育を受けてこなかったことなどから、実は写真作品には抵抗があってずっと避けていたんです。それがルーマニアをはじめ、様々な国や地域にフィールドワークとして訪れるようになったとき、移動の過程で予期せず出会うおもしろいものがたくさんあって、その瞬間を捉えて表現するための術として写真や映像の作品に移行していきました。
フィルム撮影なので1枚へかける気持ちがかなり重たいですね。枚数が限られているのでワンショットに緊張感を持って、感覚を研ぎ澄ませながら撮影します。
いくらでも撮れてしまうデジタルだと、私のこうした気持ちが乗せられないというか。質感もフィルムは丸い粒子、デジタルは四角で構成されているので全く異なっていて、大きく引き伸ばして出力するとその違いが明らかに出てきます。ランダムの点の粒子の持つ美しさ、物質感、光を構造的にキャッチしてくれるアナログのフィルムは、私の作品には重要な要素です。

ルーマニアでの1年間の滞在を経て、現在に連なる制作活動への意識
――現在開催中の東京都写真美術館「総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22」でのメインビジュアル「ひ か り の う つ わ」について

©Ana Scripcariu-Ochiai

Courtesy of ACK, photo by Takuya Matsumi
光がモチーフの作品です。
ルーマニアに向き合って生きていく、いわば私のアーティスト人生の第2章の始まりを象徴する作品でもあります。
旅をしているとヨーロッパとアジアでは、こんなに光の見え方が違うんだと驚くことがあります。以前フランスで、朝、廊下を歩いていたら窓から差し込む光がとにかく美しく、動けなくなってしまって。まるで絵のような光景だったんです。これがヨーロッパでは当たり前の景色で、そこから西洋絵画が生まれたのかって。日本ではこう見えることがない。光って土地によって違うもの、でも国境関係なく太陽からいつもどこにでも降り注いでいるものでもあって。
2022年の元日に思い立って1人、日の出を撮りに行きました。その帰り道、道端の草や冷気の中で立ち上がる霜柱が、その年の初めの陽の光を受けて美しく輝いていて、それを見た瞬間「地球上に存在するすべてのものは、太陽からの光を受けとめて輝いている『光の器』なんだ」って感じたんです。 光は単体では知覚されず、それを受け止めるものがあって初めて感じられるもの。いつの日か自分の作品に「ひかりのうつわ」って名付けたいなって、その時から思うようになっていました。それが叶ったのがこれらの作品です。
この数年はすべての写真が「光を感じる瞬間」を捉えたものになっています。カメラを握るとついつい自然光に惹かれ導かれるように撮影をしていて。なので必然的に野外で撮影した作品が多くなっていますね。光の美しさに完全に魅了されてしまっています。
――ルーマニア滞在の1年間を、改めて振り返ってみての思いとは?
2022年の年末にルーマニアに渡り、1年という限られた期間は毎日が特別な1日という意識で過ごしていました。この国で季節を一巡できるのは、私の人生最初で最後だと思っていたので、毎日カメラを抱えて、どこで何があるか調べて動き回って。
季節の変遷を見るには外に出ていくことがとにかく大切で、ここでもやはり光に導かれていました。最初は首都のブカレストにいたのですが、光を追っていたらどんどん北へ北へと移動して。訪れる土地ごとに様々な人と交流を持つことができて、昔から息づいている伝統や生活様式に直接触れることができました。1年の滞在で多くのことを吸収して、帰る頃には周りにいる現地の人よりもルーマニアの伝統文化に詳しくなっていましたね。
ルーマニア人とのミックスルーツなのに、ルーマニアがどんな国か聞かれても何も知らない、答えられないという葛藤が長いことあったんです。自分の身体の中に、得体の知れない透明の臓器みたいなものが存在していて、それがどんどん肥大化していくような感覚で、ずっとずっと苦しかった。でもある時からその臓器に血を通わせて色を与えたい、動かしていきたいって思うようになったんです。1年の生活を通してそこで出会った人たちが、私の透明な臓器にしっかり色を与えてくれました。ルーマニアに対しての気持ちや距離の隔たりは完全になくなって、躊躇なくいつでも行き来できるシームレスな土地という感覚になりました。
ルーマニアってラテン系の文化圏に属する国でもあるので、東欧諸国の中でも独特の雰囲気が漂っています。おおらかでルールも緩やかというか。何かあって聞いても教えてもらえず、行けばわかる、見ればわかるみたいな。予定どおりに物事が運ぶようなことは一切ありませんでした(笑)
感覚を駆使する1年だったので、生き物としての勘が培われたというか、それもある種おもしろい経験でした。

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai
――制作の原動力になるものは?
自分の作品や表現を通して、人々に何かを考えるきっかけを届けたり、誰かにとっての救いになれたらいいなと、アーティスト一個人として思っています。
自分自身が生まれ育った日本、もう1つの祖国ルーマニア、そして世界中のすべての国があらゆる人にとって生きやすい場所になればというのが最初の思いです。誰もがいろんな形の苦しみを抱えている中で、それでも他者を思いやって、問題に向き合って、良い方向に向かっていければなって。
どうしたらより多くの人に伝わるのかを考えて、いくつもの表現の探求を繰り返して、自分の価値観も多様化して、そうしてまた鍛えられて、上に上にと登っていくような感覚が制作活動にはあります。苦しいこともたくさんあるけれどそれでも制作をやめられないのは、思いを伝えることができる道筋が見えてくるおもしろさなんです。作品を通じて、私自身、鑑賞者の方々との対話から多くのことを与えてもらっています。

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai

©Ana Scripcariu-Ochiai
――今後、制作していきたい作品や目標は?
今はモノクロのフィルム写真への気持ちがとても強いです。光を追い求めるのに一番適したメディアだと思っていて。もともと絵画から制作活動を始めている自分の写真作品だからこそ、絵画的な構図やニュアンスがあると感じていますし、モノクロの抽象的な捉え方で新しいものを作りたい。
長年の夢だった写真集刊行が、赤々舎さんのご協力により実現することになりました。2026年の春に出版予定です。
また、ルーマニアでの生活をエッセイとして書籍に残したいという熱も高まっているので、こちらも少しずつ形にしていければと願っております。
来年にかけては4月に大阪のThe Third Gallery Ayaで開催する個展を始め、その他の出展予定もいくつかあるので、新たな作品にも取り組んでいます。視覚だけではなく、音や風、触覚、全身で感じられるようなものも作ってみたいです。立体的なインスタレーションもこれまでに制作しているので。
こうした作品たちに思いを乗せて世界中の人と一緒に何が答えなのかを見つけていきたい。人々の気持ちに変化を起こしていくような作品を生み出していくことが私の目標です。

スクリプカリウ落合 安奈 プロフィール:
美術家。1992年埼玉県 生まれ。
日本とルーマニアの 2 つの母国に根を下ろす方法の模索をきっかけに、「土地と人の結びつき」というテーマを持つ。国内外各地で土着の祭や民間信仰などの文化人類学的なフィールドワークを重ね、近年はその延長線として霊長類学の分野にも取り組みながら、インスタレーション、写真、映像、絵画などマルチメディアな作品を制作。「時間や距離、土地や民族を越えて物事が触れ合い、地続きになる瞬間」を紡ぐ。
東京藝術大学油画専攻を首席、美術学部総代で卒業。同大学大学院グローバルアートプラクティス専攻修了。同大学大学院彫刻専攻博士課程修了。
東京都写真美術館(2025)、福岡市美術館(2025)、上野の森美術館(2025)、ポーラミュージアムアネックス(2025)、埼玉県立近代美術館(2023、2020-2021)、ルーマニア国立現代美術館(2020)、東京都美術館(2019)、世界遺産のフランスのシャンボール城(2018)やベトナムのホイアン(2019)など世界各地で作品を発表。 主な受賞歴は、ARTnews Japan「30 ARTISTS U35 2022」、「TERRADA ART AWARD 2021」 鷲田めるろ賞、「Forbes Japan 30 UNDER 30 」2020、「Y.A.C. RESULTS 2020」SWITCHLAB / ルーマニアなど。令和4年度公益財団法人ポーラ美術振興財団在外研修員としてルーマニアで活動。
「総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol.22」
会期:2025年9月30日(火)〜 2026年1月7日(水)
会場:東京都写真美術館
住所 : 東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
時間 : 10:00〜18:00(⽊・⾦ ~20:00)※⼊館は閉館の 30 分前まで
WEB:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-5087.html
※本展メインビジュアルとして作品が起用
個展「ひ か り の う つ わ」
会期:2026年4月4日(土)〜 5月2日(土)
会場:The Third Gallery Aya
住所:大阪市西区江戸堀1-8-24. 若狭ビル2F+4F
WEB:https://thethirdgalleryaya.com
Instagram:https://www.instagram.com/thethirdgalleryaya/
初写真集(タイトル未定)
刊行:2026年春 予定
出版社:赤々舎
WEB:http://www.akaaka.com
Instagram:https://www.instagram.com/akaakasha