FEATURE|Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo
Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo Photo: Courtesy of Graphpaper
ファッションとアートの関係性に一義的な意味はない。特にコラボレーションや市場主体のプロジェクトの発足など、その具現方法が数多ある中で、作り手と作り手の相互関係の外観だけではなく、その背景を探る。それは我流の評の一つではないか、と信じて止まない。「グラフペーパー」を手掛ける南 貴之は、ファッションデザイナーといっても過言ではないほどの手癖を持ちながら、ギャラリーやショップ、PRエージェンシーなどファッションやアートを取り巻くあらゆるカルチャーのディレクションを担い、常にその時の気分や時代の変容に機敏になりながら談話室でのような対話ベースの創作に向かっている。2024年春夏はアーチスト、新城大地郎との創造的な対話を一つの空間で体現している。
新城は沖縄県、宮古島生まれ。1611年に端を発する寺院の子孫であり、禅僧であり民俗学者でもある祖父の影響により、禅や仏教文化に親しみながら幼少期から書道を始める。禅や沖縄の精神、文化、概念を背景に現代的でありながら自由なスタイルで、伝統的な書に新たな光を灯す。身体性、空間性を伴ったコンテンポラリーな表現はあらゆる領域との交差を可能にさせている。
インスタレーション空間を見ていると、「グラフペーパー」に新城の作品をグラフィックに落とし込むなどはしていない、もはや彼らはコラボレーションとも唱えていない。では、今回の交差では彼らの中でどのような意思疎通があったのだろうか。
呼吸を合わせたような対談という形式ではなく、一つの空間の中において、別々のタイミングで話を聞いた。
規範を構築する上で、欠かすことができない偶発性
――創作の起点は?
南 貴之(以下、南): 黒を軸としたコレクションを作りたいと思い、色を探究するところから始まりました。もちろん、これまでも向き合ってきた色ですが、少し視点を変えました。そこで、墨という日本固有の素材、インクが引っかかり、作ってみようと。
――確固たる下地があるが故の広がり?
南: そうですね、「グラフペーパー」は男性服におけるユニフォーム、特にミリタリーやワークウエアを下地にして、どのように取捨選択しながら、機能を排除していくか、を提案していくという明快なコンセプトがあります。自己流の規律や端正さを追求しつつ、人の手を介在させないように感じる服を作っているのですが、2021年に「白紙」というギャラリーを作ってから少し目線が広がった気がしています。そもそも扱ってはいたのですが、色々な作家と直接お会いするようになってからは、偶発性を意識するようになったことも大きい要因かもしれません。例えば焼きものは、窯の中で造形にどのような変化が表れるか予測不可能な部分もあり、窯に入れてしまったら完全にはコントロールができません。その時の環境や火のエネルギーなど様々な条件によって大きく左右されます。それと対峙しながら作品を作っている様子を窺っていて、その偶発性に赴くような手法を洋服に置き換えることはできるのかなと思っていました。その中で、(新城)大地郎と会うことができました。
Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo Photo: Courtesy of Graphpaper
独自の路線を貫いた先に見えた新城大地郎との共鳴
――新城との出会いについて
南: 彼のことは以前から知っていて、作品は見たことがあったけれど会ったことはありませんでした。京都で彼が個展をやるタイミングで会って、次のコレクションのテーマは墨にしようと思っている、という話をしたところ、「墨を作っているので、観に来ますか?」と宮古島にあるアトリエに招待してくれました。どのように墨を作るのか、そもそも墨とは何なのか。彼は実際に自分の手で墨から作って、創作に向かっているので、その現場を見ることができました。ただ、彼の作品を洋服にしたいわけではなかったのです。洋服と作品の共存、一つの空間を軸に作品の主題をリンクさせながらコレクションの世界観を作りたいと趣旨が明確でした。墨をテーマに大地郎は新作を作ることになり、僕も洋服を作るプロセスに入りました。
――逸話は?
本当に偶然だったんですよね。京都に僕が通っている飲み屋があるんですが、彼もよくそこに通っていたみたいで。そこの店主が繋いでくれました(笑)。そもそもこの話があったわけではなく、純粋に会ってみたいなと思っていました。東京で作家と対話する流れと同じですよ。常に偶然の出会いを大切にしています。それに、彼は墨を使うアーチストですし、僕は僕で墨と向き合ったので、それ以外に創作の話もしていないですし、最終合致点を調整したわけでもありません。特に考えていたわけではないですが、作品について介入しない、話すぎないというのは僕の流儀というか…。
Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo Photo: Courtesy of Graphpaper
――墨作りの用法をどのように服作りのプロセスに取り入れたのか?
南: 繊維工場や機屋さんには頻繁に通っているのですが、織の表現を拡張できないか、を模索しました。また、焼きものでいう”窯に入れる”というプロセスを洋服に置き換えると、染める、洗う、煮るといった方法があります。なので、染工場を訪れたりしました。意図しない偶発性をどう出すか、をコレクションは考えました。コレクションのメーンピースは大幅に変えて表現できたかなと思います。
――ランウェイショーなど、ファッション固有の表現に縋るのではなく、空間表現に拘った意図は?
南: 空間と作品をどのように見せるか、に関心があります。また限られた人でしか見ることができないのではなく、実際に「グラフペーパー」を着てくださる方々にも見てもらいたい。また、アーチストとしての大地郎のファンの方やアートが好きな方々とも場を共有できるかもしれない、という狙いもあります。
――ここまで一つの要素に拘った経験は?
南: ないですね。どちらかというと建築やアートからの着想が多かったので、具体性がない着想源は珍しいと思います。抽象的ではありましたが、黒は常に向き合ってきた色なので特に抵抗感はありませんでした。更に深く、素材の原理や工程、機屋さんや工場の方たちの黒への思いを洋服に落とし込んでいきました。面白かったです。
――新城の作品を見てどのように感じたか?
南: 彼の作ってきた作品を幾度と目にしてきたので、スッと自然に入っていきました。サイズ感も何も打ち合わせしていないのですが、何もしない方がいいなと思っていたので、最終的に彼の作品をインストールしてから服を空間に並べていきました。ただ、自分の中だけで想像はしていましたよ。基本的に壁を使った展示になるだろうから壁に作品が来た時にどういう配置にしようか、とか。動きながら見て回れたらと思っていたので、狙い通りです。
Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo Photo: Courtesy of Graphpaper
理知的な面と感覚的な面の共存。矛盾やアンバランスな均衡を保つ
――ファッションとアートの関係について長年向き合ってきて、扱ってきたと思うが?
南: 僕の周りには建築や音楽やっている人もたくさんいて、時々こういう質問はされるのですが、特別なことは何も考えていないのです。自分は服を表現の軸としている、という意識だけですね。自分をファッションデザイナーだと自覚していないし、語弊を恐れずに言えば、彼らを”アーチスト”というよりは、ひとりの人間として向き合い、一緒にやっている。もっと根底の話ですね。服や作品の話はほとんどしない。食事の話とかお酒の話とか、生活する上での日常は「グラフペーパー」の中核にあるので、そこは必然的ですね、少々矛盾していますが。今回は、墨の作り方を知りたかったので、大地郎にレクチャーしてもらいましたが、作家と何かを一緒に考えたことはなかったので、それは逆に新鮮でしたね。最初の目線合わせといいますか、例えば、大地郎の作品をプリントしたいとかは一切思わなかった。特に彼の場合は、身体の感覚やそこに行き着くまでの思想が大切です。ノイズを挟みたくなかったのです。また作品を装うことにあまり関心がなく、大地郎も同感してくれました。それぞれの手法を尊重した、といいますか。僕の場合それさえ考えていません。
――今の自身の気分は?
南: 偶発性はもっと深く、多方面に拡張させたいとは思っています。これも少し矛盾していますが、僕は自分で服を作っているし絵型とかも書いているにも拘らず、デザインしている感覚があまりないのです。強いていえば、70~80%は生地作るところで終わっていて、そこはデザインしている感覚に近いかもしれない。新しいシルエットを作ろう、とか世の中に響く一着を作ろう、とかは考えていない。極端なことをいえば、世の中にある服の中で、自分と生地を作る方たち、僕は彼らをアーチストだと思っているのですが、彼らといかに共作しながら面白いものを作って、それに適した日常着に落とし込むか、に興味があります。
南が宮古島にある新城のアトリエを訪れた時の様子
新城のアトリエでの様子
南との出会いと共通の主題である墨への思慮深い探究
――南と出会う以前までの「グラフペーパー」の印象と出会った時のことについて
新城大地郎(以下、新城): 学生の頃から好きで、何着か持っていました。南さんの感覚や思想が服に現れている、その質感に共感していたというか、どこか通ずる部分もあるのかなと勝手ながら思っていました。南さんとは2023年1月に京都の光明院と「haku」ギャラリーと「kokyu kyoto」という三箇所で、バリエーションを変えて展示した個展の会期中に出会いました。お寺の展示は、60秒で達磨を描くというルールを設計して、約20点を展示。「haku」ギャラリーでは禅の言葉をテーマに作品を展開して、「kokyu kyoto」は僕のアーカイブ作品を展示しました。南さんは「haku」ギャラリーに来てくれましたね。
――共通のテーマとなった墨は自身にとってどのような素材なのか?
新城: 墨は、日本であれば教育の場で習字として、触れる機会が多いと思います。墨を硯で磨ったり、墨汁を墨池に流して筆で書くのが主流です。この2,3年は、墨を作るところから創作を始めています。買っている墨もありますが、良い墨は金額と量のバランスが悪かったりもするので、自分で作ってみようと思ったのがきっかけだったと思います。墨屋さんに相談しながら基本的には独学です。墨の原料を墨屋さんから仕入れ、お料理をするかのように作っています。
――具体的なプロセスは?
新城: 墨の原料は煤(すす)と膠(にかわ)で出来ていて、煤は油煙煤と松煙煤という二種が基本です。油煙煤は植物の油からできていて、アルコールランプのような形に傘を作り、それを柔らかい火で燃やしていくと傘の下に付着する。それが植物の油、菜種油からできる油煙煤です。一方で、松煙煤は松の木とか陶芸の登り窯のように窯の内側についているような煤です。原料のルーツが違う二種類の煤があって、色味も若干違うし、書き心地も油煙煤はねっとりとしていて、松煙煤はサラッとしていて大きく異なります。これらはパウダー状なので、それだけだと紙に付着しません。そのために、接着剤のような素材が必要で、それが膠です。主に日本画やバイオリンの修復材で使うのですが、鹿や牛の毛を取り除き、大きな鍋で何時間も煮出し、抽出したゲル状の排出液を乾燥させたものです。
墨作りの様子
新城: 煤と膠を湯煎して混ぜ合わせ、型にいれて乾燥させると墨ができあがります。僕は混ぜるところまでを自分でやっています。市販の墨は良い香りすると思いますが、それは香料を入れています。動物の皮を使っているため、獣の匂いが強烈だったりするので、香料を入れるのです。僕の場合は、香料を入れないで生き物と一緒に作っている感覚を大切にしています。
――科学的な側面がありながら人間の感覚が大事になっている?
新城: そうですね。市販の墨は機械的に効率良く作っているので、保存が効かない墨を長く保管できるように保存料も入れるのでいつでも誰でも使える。僕の作る墨は保存料も入れなければ乾燥もさせないので保って3日、それを過ぎると腐ってしまいます。自分の手で墨を作ると、感覚や思考が全て作品に反映されます。例えば、慌てて作った墨やスケジュールに追われながら作った墨はあまり良い墨ではない。憑依するのです。そこに僕は色気があるとも感じています。墨の本質に向かうことができるし、作品がシンプルな表現な故に、素材とどれだけ向き合うことができるか、を大切にしています。
新城のアトリエでの創作の様子
平面作品でありながら、立体的であること。アートがファッションを着想とする手がかりとは
――作品のモチーフ、文字やアブストラクトなテーストの着想は?
新城: 今回展示している作品は、すべて書き下ろしなのです。「美」という文字をモチーフにした3作品についてですが、僕の作品は平面作品なので、それが立体になる風景を想像しました。人が抱きしめ合っているような造形をイメージしていて、「美」が持つ佇まいを見せたかった。「空」をイメージした四つの作品はゼロであり、空虚であり、無いようで有る、有るようで無い感覚です。黒は存在していない暗い世界を想起させますが、僕はそれが服になった時に、墨を纏っていない部分に着目しました。墨を探究していくとキャンバスの余白部分、墨を装うとしたら顔や手、腕といった身体的、肉体的な部分ですよね。それを観賞者に意識してもらう意図があります。墨を充分に含んで描いているけど、同時に余白の部分も意識している。普段はアブストラクトに直線的に何も作為のないようなところに向かう時間もありますが、今回はそういった身体性を意識しました。墨を纏わない部分、それはいずれ、人の個になっていく。これは新しい気づきでした。墨という同じテーマを設定したことで考えやすかったのだと思います。僕が作る作品はそもそも身体性を帯びているので、ファッションの創作の感覚の距離は遠くないのかもしれません。僕は平面作品で彫刻作品を見ているかのようなエネルギーを感じさせる作品を作りたいと常に思っています。
Untitled, 2024 Sumi ink on paper Motif 美
Untitled, 2024 Sumi ink on paper Motif 空
自我と作品の媒介であり、包括するコスモスで見据える明日
――アトリエではどのような時間を過ごしているのか?
新城: 作品を生む場所でありながら、居心地良い空間になっていると思います。創作に向かうとき、フラストレーションがあると純な感覚が濁る気がしていて。作品と空間と身体、すべてが一体となって現れると思っています。照明や香り、お花などの生き物は特に大切にしています。場所に対して捉われないアーチストもいると思いますが、僕のスタジオはできるだけ生な感覚になれるような場所にしています。制作する以外の時間としても居心地が良いですよ。自分の好きなものだけを置いています。他の場所へ滞在制作をしに行くこともありますが、心地の良い空間を作るところから始めます。
新城のアトリエでの様子
――今後はどのような創作を見据えているのか?
新城: 素材に対する探究は深めていくつもりです。今回の作品で使用した紙は、ご高齢の職人さんが作っていて、担い手がいないことも多々あります。手製の紙の需要は年々減っていますが、機械化されていないより自然な素材とは一体になれます。自分自身も生き物だし、素材も生き物ですから。シンプルな創作なので、その中に奥行きを生むような創作を旅しながら続けていきたいですね。
Graphpaper 2024SS Collection ~ Installation by Daichiro Shinjo Photo: Courtesy of Graphpaper