FEATURE|思考や察知を試す記録たち。創作者と創作を切り離すための覚書
Photo: © 2023 KGB Films JG Ltd
『High & Low -John Galliano』(英語表題)が9月20日に公開された。日本語表題は『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』と称されているが、ジョン・ガリアーノは果たして「世界一愚かな天才デザイナー」なのか。そもそもこの映画は、単なるファッションフィルムなのか。あらゆる疑問が生じる。ひん曲がりでも映画が面白くないといっているわけでもない。言葉のひとつひとつの意味をそのまま受け取っても良いのか、受け取る側に委ねられるべきだろうし、映画に関しては寧ろデザイナーやアーティスト、クリエイターと近しい関係にある人には見て欲しい、と強く感じている。ただ、作者に近くない人たちが見たとしても、気づかされる点が多いはず。メディアを持つ人物、それは我々のような仕事をしているだけではなく、SNSを始めとしたデジタルコンテンツを持つ人物…現代では一般化されつつあるそれに触れている。デジタル社会は人を進化させているのか、弱体化させているのか。そんな侵略的な話ではない。そこから派生される概念や文化、意識の顕在化に繋がっている。ガリアーノという一人のファッションデザイナーの栄枯盛衰といってしまえばそれまでだが、彼に纏わる一連の出来事、存在、モードがもたらした功罪が116分の一部で圧縮されている。
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これまで何人かのファッションデザイナーの「ファッションフィルム」が公開されてきた。アレキサンダー・マックイーン、ドリス・ヴァン・ノッテン、ヴィヴィアン・ウエストウッド…もっと遡れば出てくるが、彼らの創作の舞台裏は煌びやかに見えるファッションショードラマチックな舞台裏の一部を覗いた気分になれる。だが、今回のこの映画に関しては異なる様相を呈している。1972年9月、西ドイツでパレスチナ武装組織「黒い九月」が引き起こしたミュウヘンオリンピック事件を扱った『[ブラック・セプテンバー]ミュンヘン・テロ事件の真実』でアカデミー賞®︎長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したスコットランドの映画監督、ケヴィン・マクドナルドはこの映画を撮る以前まで「ファッションについて何も知らなかった」という。この世界における本質的な問題に触れながら、ガリアーノという個人について描くにはこの距離感が必須だったのかもしれない。2011年に起きた事件のことについて、パリを中心とした報道陣による発表が主であり、詳しく何が起きたのかはガリアーノの口からはおろか、関係者からの詳細な声明はなかった。2012年に新たにラフ・シモンズがアーチスティック・ディレクターに就任するなど、強大なメゾンの礎とファッション産業固有のルーティンは揺るがず、ガリアーノは姿を消した。
この映画のプロダクションノートにはガリアーノとケヴィンが初めてZoomで話をした時のことが書かれており、ケヴィンはその時のことを「特に私に強い印象を与えたのは、ジョン自身、何が起こったのか理解していないことだ。心理的なミステリーは、いい映画になる」と語っている。「最初の6時間のインタビュー(その多くがこの映画に収められている)の中で、ジョンはとてもリラックスしてカメラのレンズを見つめており、その様子はまるで懺悔室のようだった」とも。この映画は果たして何のために描かれたのか。この映画はファッションフィルムなのか、ひとりのファッションデザイナーの「美しくもスキャンダラスな」ドキュメンタリーなのか、それとも「贖罪」や「セラピー」なのか、それとも…。それは見る者に委ねられる。
Photo: © 2023 KGB Films JG Ltd
映画は「Masion Margiela」のArtisanal 2022「Cinema Inferno」のバックステージでのガリアーノの様子から始まる。クリエーティブ・ディレクターとしてガリアーノは今尚、この仕事を続けている。「Christian Dior」時代のようなフィナーレで派手に登場することはなく、酒をやめ、パーティーなどに顔を出すこともなくなったという。舞台裏での落ち着きがない仕草、今にも叫び出しそうな表情をリアルに映している。この「Cinema Inferno」はガリアーノ自身が構想した壮大な物語「Count and Hen」を基軸にした壮大なクチュールコレクションである。ストーリーの主人公である不運な恋人たちカウントとヘンがフラッシュバックを契機に過去が紐解かれ、苦痛の日々から逃げ迷うかのようにアリゾナに逃避行し、そこでの銃撃戦を経て、モーテルのような映画館に辿り着く。2人は息を引き取る間際、潜在意識の下にある喜びやトラウマによって紡ぎ出される映画のようなループに陥っていく。この物語はガリアーノの主眼を映し出すかのような空想であり、現実でもあり、映画の重要な着想となったのではないだろうか。
Photo: © 2023 KGB Films JG Ltd
1927年に公開された『ナポレオン』(アベル・ガンス監督作)と関連付けながら、生い立ちやセントマーチンズでの卒業制作、ロンドンファッション界で寵児に上り詰め、業界の重鎮たちのサポートによって成功したショー(「JOHN GALLIANO」1994-95年秋冬)、ベルナール・アルノーとの出会い、「GIVENCHY」、そして「Christian Dior」での仕事をドラマチックなハイライトとして描いている。この一連のシーンは直接現場にいた人物の証言は表に出ているものもあり、資料も多く残されているが、その背景にいた人物、例えばガリアーノのキャリア初期からデザインアシスタントとして心を許していたスティーブン・ロビンソンの存在と彼の死についても描かれており、そこで垣間見えるガリアーノの脆さ、危うさは、誰しもが察していたことが鮮明となっている。特にスティーブンが亡くなった時のことを口にするガリアーノのインタビューは記憶に残るシーンの一つではないだろうか。
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その後に起きたあの事件に関してはここでは触れないが、彼を天才、スター、カリスマと持て囃してきたメディアの存在、特に2011年当時はまだSNS黎明期だったが、そこを中心にキャリアを失った「キャンセルカルチャー」の最初の人物のひとりとして、どのような状況にあったのかも描かれている。そして被害を被った人たちの声、そして当時の「Christian Dior」のトップだったシドニー・トレダノの回想などもある。美と醜、聡明と愚鈍、幸福と絶望などあらゆる側面で描かれるガリアーノの人間性にスポットが当たりがちだろうし、間違っているとも思わない。だが、果たしてそれだけを抽出して消費してしまって良いのだろうか。ガリアーノはこの映画に関する取材でこう語っている。「(あの事件以降、ファッション界は)ある意味、とても変わったと思う。メンタルヘルスの問題や中毒について、人々はよりオープンになったと思う。サステイナビリティ(持続可能性)については、とても歓迎すべきこと。でも、『クリエイターの持続可能性』についてはもっと話してほしい。クレイジーな期待、ファッションイヤーのクレイジーなタイムテーブルは変わっていない。デザイナーに期待される生産量は、まだ正しくない。(中略)創造するためには、生きる必要がある。経験する必要がある」。
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今あるファッションの世界は本当に善良なのだろうか。スマートフォンの画面上で栄えるプロダクトとプロダクション、煌びやかな舞台装置、仕掛け、大胆なキャスティング、セレブリティーやインフルエンサーを中心としたマーケティングはファッションだけに付き纏っているわけではないし、正直なところそれに高揚することもある。だが、それが恒久的な幸福に繋がるわけではない。創作者を中心とした創作を持続させるためには、創作者と創作を切り離すことも重要なのではないだろうか。この仕事を通して、多くのデザイナーにインタビューをする機会があるが、可能な限り前を向けるように、烏滸がましいかもしれないが新たな気づきや発見があるように、まだデザイナー自身も開けていない抽斗に手をかけようと心がけている。
それは先達が残した歴史と文化と対峙するデザイナーは西洋を中心として擁護してきた規範とデザイナーの独自性との葛藤が、程度の差こそあれ、生じ続けているからだ。その摩擦を傍観している以上は真に理解することは難しい。現代においてモードと闘う、もしくは共生していく創作者を創作者たらしめるためには、あらゆる角度での関わり方が必要だろうし、工夫や解釈が必要だろう。安直に思ったことを口にしたり、過去と比較することが正しいとは限らない。
「メディアに持ち上げられるのは簡単だけれど、落ちるのも簡単」。或るデザイナーがいったこの言葉が思い起こされる。本映画は創作に携わり、そこに思い入れがある分、考えさせられる。その思考こそが試されているのかもしれない。本編では2022年2月に「Dior」のアーカイブに約11年ぶりに戻ったガリアーノの姿も撮影されている。そこで自身が残した遺産やアトリエスタッフ、その中にはある悲痛と出くわした人物…ガリアーノと悲痛を共有できる仕立て師との再会もある。映画のラストシーンは、ガリアーノの創作者としてではなく、人間としての本能、そして創作の根源を映し出しているかのようでもあった。
Photo: © 2023 KGB Films JG Ltd
『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』
9月20日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー
配給:キノフィルムズ
© 2023 KGB Films JG Ltd
監督・プロデューサー:ケヴィン・マクドナルド(『モーリタニアン 黒塗りの記録』)
出演:ジョン・ガリアーノ ケイト・モス シドニー・トレダノ ナオミ・キャンベル ペネロペ・クルス シャーリーズ・セロン アナ・ウィンター エドワード・エニンフル ベルナール・アルノー
【2023年/イギリス/英語・仏語/116分/カラー/ビスタ/原題:High & Low -John Galliano】
字幕翻訳:チオキ真理/© 2023 KGB Films JG Ltd
提供:木下グループ
配給:キノフィルムズ
公式HP:jg-movie.com