VEIN|2024年春夏ランウェイショー。自我と向き合う舞台裏での後姿に、寓話を重ねる

VEIN|これまでで最も私的で自我的なコレクション。本質を捉え、知覚し続ける謙虚で寛容な身熟し

劈頭第一に、単純な疑問が浮かび上がる。「ファッションショーの必要性」を語ることは意味のないことなのだろうか。否応なしに我々は今ポスト・パンデミック時代と本気で向き合わざるを得ない状況にある。世界規模で発生したパラダイムシフトに起きている中で、装いにおける変化が起きている。ほんの一部かもしれないが、キャンペーン的提言(サステイナブルとかダイバーシティー、インクルーシブ、Y2Kなど)は形骸化を辿り、その真意が深掘りされるかどうか、明暗の分かれ目の真っ只中に我々は存在しているといえる。

融通手形とされるファッションショーならば意味はない、とする見解もある。他方、混沌とする世界情勢の中で、服を作り続けるブランドにとっては向かい風であり、明確な展望を見つけるのは至難の業。そんな折に、「ファッションショー」を語るのは果たして本当に意味のないことなのか。否定し、見切りをつけることはできない。ましてや我々のようなブランドとベッタリとくっついて離れないでいる書き手からすると、そこから見えてくるエゴの強さや確かな視座に目を向け続けていたいと願うばかりである。

自我と向き合うデザイナーのアプローチは、観る者の脳裏にあらゆるイメージとビジョンを呼び起こす。話の前置きが長くなってしまったが、榎本光希が手がける「ヴェイン」は2024年春夏、初めて単独でのランウェイショーを東京、新木場にあるGARDEN新木場FACTORYにて開催。これまでは榎本が手がけるもう一つのブランド「アタッチメント」との合同ショー形式で発表していたが、今回は「ヴェイン」の作品群だけでショー形式の発表となった。

オフラインという今目の前にしている状況をありのままの状態で受け止めることができることを贅沢だと実感する。それはある種、人と触れ合うことでしか味わうことができない人間味を求めているともいえる。しかも、それをありのままに表現するのではなく、その中から自らのクセを見つけ出し、抽出する。それこそが今の榎本の喜びなのかもしれない。モノの価値やそこに残る自らの痕跡を見つけ出す。そのような仕草から、筆者はある一つの物語を思い浮かべた。

古代ギリシャの寓話作家、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる「イソップ寓話」。その中に「雄鶏と宝石」という短篇物語がある。豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏、犬に論語はモノの価値そのものに対することわざや慣用句とされているが、モノの価値を知覚する話として稀な物語ともいえる。「雄鶏と宝石」の物語は、雄鶏が宝石を見つけ出す場面から始まる。

雄鶏は、宝石に目を奪われ、自分の美しさを誇示しようとするが、結果的に狐に捕まってしまう。この物語は、見て呉れを始めとした外的な要素に惑わされることなく、本質を見極めることの重要性を説いている。榎本の創作は決して空想的ではなく、寧ろ日常や現実に根差していることは重々承知しているにも拘らず、何故この寓話がこびりついて離れないのだろうか、という疑問に駆られるが、それは同時に、今の榎本はどのように「ヴェイン」と向き合っているか、に迫ることでもある。

何度かこの会場には足を運んだことがあるが、夏は特に暑く、屋外以上に湿度が上がる。これまでの榎本であれば選ぶはずがない会場だが、「「ヴェイン」は人とモデルさえいればショーが成立する」と榎本の言葉通り、寧ろ人や日常の匂いが強烈に残る場所が良かったのだろう。

ブランド哲学である構造表現主義には、ロゴを始めとした象徴、分かりやすさ、明確さへの希求に対する抗いでもある。「ヴェイン」を構築する上で欠かすことができないクリーン、ミニマル、引き算のデザインはその反動とも捉えることができる。だが、今回はそこからも脱却してきた。只でさえ時流に抗い、更にその結果からも脱する。抗いの対象が膨れ上がることで、自らの小宇宙は最小限でありたい、小規模なコミュニティーで狭く深く届けたい人々にだけ届ける、その裏返しでもある。

後に榎本は「今回のコレクションは最も届けたい人たちに届けたつもり。だから、これで届かなかったらブランドを休止することも考えていました」と語っている。

ショー本番3時間前、待ち合わせ時間に行くとモデルは既にメークアップを終え、榎本はスタイリスト、アートディレクターと入念に打ち合わせをしている。モデルの歩く仕草や速度から洋服の結ぶ、解く、覆う、巻き付ける、緩めるといった些細な表情まで事細かく。特にウエストラインの見え方はリハーサル後も気にかけていた。

「ブランドを始めた頃よりもスタイルの重心の高低を気にするようになりました。気分もあると思いますが、重心は高くなっていると思います。自分自身も最近はシャツをインすることも増えたので、自らのスタイルの影響も多少なりともあると思います」。他にも演出、ヘア、メーク、フォトグラファーなど様々なスタッフが気にかかったことは榎本に伝える。これは、ランウェイショーのバックステージでは珍しいことではないが、榎本の判断は素早い。「そうですか?意識してその場で決断しているわけではありません。「ヴェイン」の単独だったからこそ、迷わないのかな」。

今回のキャパシティーは約200人。これまでのショーの中で最も少ない招待客数で、舞台裏のスタッフも決して多くはない。スモールコミュニティーを志す榎本の今の気分がその辺りにも行き届いている。主題である「AURA」は一回的な現象だけではなく、香気の意味もある。そこに作品群がなくとも、残香があり、だだっ広い空間に小規模な共同体を置くことでそれが滴っていくことを願うかのようにも感じさせる。

「雄鶏と宝石」で雄鶏は地中深く掘っていると偶然宝石を見つけ出す。しかしその宝石は自分には必要ないものだと悟り、自分にとって必要なこと、最も大切にしたいことは何なのかを自分自身に問いかける。そして宝石を見つけた雄鶏は、その宝石を何かに利用しようとするわけでもなく、持ち主がこれを見つけたら喜ぶかな、と第3者視点で謙虚で寛容に考える。そしてそれを継続する。

雄鶏にとっては、宝石なんかよりも例えば友人との対話や食事、この寓話では麦一粒の方が大切であると描かれているが、自らの本質を守ること、見失わないことが滲み出ている。宝石と聞くと価値のあるものだと感じてしまう。しかし、その価値がわからない者にとっては無用の産物。個人の認識とは儚くそれ故、個人の自由でもある。他人に強要したり、無理にシェアしようとすることはできない。

榎本に雄鶏を重ね合わせたわけではないし、宝石をショーと照らし合わせたわけでもない。ただ、榎本にとってランウェイショーは自らの価値と向き合うために要したのだろうし、擁したし、様したのだ。それだけで十分に自我的であるといえるし、最も私的だったと感じている。「漸く「ヴェイン」との距離感が見えてきました。僕の生き写し。今後より一層色濃くなっていくと思います」と榎本は語る。

スタイルのある作り手は強い、そこに自我を重ねる作り手は更に強い。

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