“QUOTATION” IN THE ART|RoamCouch、箭内道彦、タカハシヒョウリが語る、ウルトラマンと現代アート

“QUOTATION” IN THE ART代官山 蔦屋書店にて開催された、日本のアートシーンの現状と未来を語るトークショー

2024年9月20日(金)、代官山 蔦屋書店にて開催された特別イベント「“QUOTATION” IN THE ART PRESENTS RoamCouch|ULTRAMAN+α」。その一環として、『“QUOTATION” IN THE ART Vol.1』の表紙を手がけたストリートアーティスト・RoamCouch(ロームカウチ)、東京藝大教授 / クリエイティブディレクター・箭内道彦、作家 / ミュージシャン・タカハシヒョウリの3名をゲストに迎え、”QUOTATION”編集長・蜂賀 亨が司会を務めるトークイベントが開催された。立場の異なるゲスト3人が現在のアートシーンやアートコラボレーション、ウルトラマンに対する各々の思いを語り合い、オーディエンスがそれを様々な解釈で受け取りながら日本の現代アートを再考する機会となった。その中から、今回際立ったディスカッションを抜粋して紹介する。

登壇シーン
左から:”QUOTATION”編集長 蜂賀 亨/ストリートアーティスト RoamCouch/東京藝大教授・クリエイティブディレクター 箭内道彦/作家・ミュージシャン タカハシヒョウリ

日本を代表するヒーローとして国内外から幅広く愛されるウルトラマンとロームカウチがコラボレーションした作品が表紙となった『“QUOTATION” IN THE ART Vol.1』を背景に対談がスタート。最初のテーマは「ウルトラマンの魅力」について。

ロームカウチ:ウルトラマンとの出会いはゲームでした。小さい頃にサブカルチャーに没頭していて、その時に初めて動くウルトラマンをゲームで体験してかっこいいなと思いました。いつも頭の中で、ウルトラマンがこんな所にいて、こんなことをしていたら、と勝手に空想していました。今回のコラボレーションを通して、その当時の空想を一部再現できたかなと思っています。

高橋:1990年代初頭、スーパーファミコンからウルトラマンのゲームが登場していたのですが、それがまさにキャラクターと宇宙人が向かい合って戦う格闘ゲームだったんですよね。ロームカウチさんが幼少期に感じた“かっこよさ”が、今こうしてそのままアートになっているというのが作品の面白さで、原体験と結びついているのが素敵だなと思いました。

箭内:みんながアートだと言っていないものや、自分でもそう思っていないものが実はアートだということってあると思うんです。そしてその最たるものがウルトラマンなのではないかと。そのことに気が付いていない人や先入観を持っている人がたくさんいて、それを払拭する作業をロームカウチさんがしてくださっているのだと思います。

今回のトークのメインテーマは、“現在の日本のアートシーンの現状と未来”。近年のアートブームに加え、これまでアートとは別の存在として捉えられてきたグラフィックやイラスト等がアートとして評価されるシーンが増え、アニメや人気キャラクターとアートのコラボレーションも活発なことから、それらに対する問題提起がなされた。

高橋:ウルトラマンはアートだと思います。あまりに根付きすぎていて、ウルトラマンはウルトラマンだと皆んな何の疑問も持たずに認識しているじゃないですか。でも改めてその姿を思い浮かべてみると、デザイン性の凄さに気がつきます。人類に味方する宇宙人で、銀色の皮膚なのか服なのか分からないもので包まれていて、黄色く光る目を持っている。こんなヒーローってどこにもいないですよね。大人になってから色んなアートやデザインに触れるにつれ、当時の日本でこれが生まれたという驚きや感動が増しています。

過去にアートと認識されていなかったものが時を経てアートだと呼ばれるように、その姿は柔軟に変化するのかもしれない。ウルトラマンはその姿形はもちろん、コンセプトや設定など全体を見てアートとして受け入れられているのだろう。そしてどんなアート作品にも賛否両論があるように、アートとしてのウルトラマンにも様々な意見があるはずだ。そもそもアートとは何をもとに定義されるのだろうか。

高橋:結局、見る人の方に「アート」があるのではないかと思うんです。難しいですけど、自分が言葉にできないような感動を持つようなものがアートになるのではないかと。

箭内:僕も高橋さんと考えが近いなと思います。アートを特別なものにしすぎたんですよね。呼ぶ側の都合で、見る側がもっとアートに対して自由に無邪気になって、アートを怖がらない姿勢が広がったらいいですね。

キャラクターであるウルトラマンがアートワークとコラボレーションを果たした時、それは純粋なアート作品として受け取られるのだろうか。キャラクターとアーティストがコラボレーションすること、そしてそのデザインやアート性について会話が続く。

箭内:どっちがアートでどっちがアートじゃないとかではなくて、前だったら混ぜなかったものを混ぜてもいいんだ、という動きが世界的に起こっているのではないかと思います。

ロームカウチ:(作り手の)私がコラボレーションしたいと思う要素としては、「今まで誰もしたことがないこと」「日本人である私ができること」のふたつです。二番煎じだけはしたくないので、決意や信念を持ってやっています。ものを壊すのか、生かすのかというのも我々次第ですので、それを大事にしています。

高橋:箭内さんがおっしゃっているように、その境界線をぼかすためにアートと何かがコラボレーションするんだと思うんですよね。アートを楽しむための入口を作ってくれているという意味合いだと思うんです。

トークは次第に終盤へ。それぞれがこれからのアートへ抱く期待とは?

箭内:社会的なアートの必要性ってあると思うんですよね。人を感動させたり、癒したり、生きる力になったり、世界を変えることができたり。それと並行してアートビジネスがあり、作品にすごい値段がつくこともあるので、それに違和感を覚える人もいますが、僕は賛否の分かれるものに高い価値がつくのって面白いなと思っているんです。お金に対する価値観もアートが塗り替えたりしているんじゃないかと思うんですよね。それも含めてアートなんだなと。
でもやっぱりアートの敷居が下がって、一人一人それぞれがアートを楽しめるような姿勢が整うといいなと感じます。今は白か黒かで、その間のグレーは許さないという社会なので、アートに詳しくなくても誰でも楽しんでいいんだよっていう世の中になっていくといいなと思います。アートという数値化できないものが社会を前に進めていく、そのことに期待があります。

高橋:僕は「中庸」という仏教用語が好きなんです。「中庸」は“黒でも白でもないもの”という意味ではなくて、“黒も白もあるもの”という意味を持っていると捉えていて、その中に色々な表現があるというのが理想の世界なんですよね。アートもそんな風に楽しめる物になったらと思っています。

ロームカウチ:日本のアート産業は、世界とはまだまだ違いがあります。ただ世界に追いつくとか、世界に準じていくとか言うことではなく、日本人にしか持ちえない感覚があって、日本人だからできることがあるんじゃないかなと信じているので、作り手として世界と対向することで距離を縮めていいなと思っています。

普段馴染みのない人からすると、どうしても敷居の高さを感じさせてしまうアートという存在。しかし今回のコラボレーションをはじめ、アート以外のものがその世界に入り込むことで壁が壊され、より多くの人にとってアートが他人事ではなくなる瞬間が訪れるのではないだろうか。これからさらに目にする機会が増えるであろうコラボレーションをきっかけに、様々なアート作品に関心を向け、その価値や自分にとっての役割について考えてみてほしい。

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